鈴木孝幸(パラ水泳)の生い立ちが壮絶すぎて涙…育児放棄された過去

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スポーツ

今回は、東京パラリンピック2020水泳日本代表の鈴木孝幸(すずきたかゆき)選手についてご紹介しましょう。

東京パラリンピックの水泳で、複数のメダルを獲得し注目を集めている鈴木孝幸選手ですが、その生い立ちが壮絶すぎて思わず涙してしまいます。

実は、実の両親から育児放棄され過去をお持ちとのことです。

一体どのような幼少時代を過ごしてきたのでしょうか?

それでは、鈴木孝幸選手の生い立ちについてご覧ください。

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鈴木孝幸の生い立ち

 
 
 
 
 
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鈴木孝幸選手は生まれながらにして、両手、両足に障害を持つ先天性の四肢欠損です。

右足は付け根付近から無く、左足も膝から下がありません。

右腕は肘から先が無く、左腕も指が2本欠損しています。

育児放棄された過去

鈴木孝幸選手が2歳の頃のことです。

鈴木孝幸選手の実の両親は、当時保育園の園長をしていた母方の祖母である小松洋さんのところへ鈴木孝幸選手を置き去りにして姿を消してしまいました。

育児放棄です。

鈴木孝幸選手の実の両親は、先天性の四肢欠損という鈴木孝幸選手の障害の重さを受け止めきれなかったのでしょう。

その後、ご両親の消息は明らかになっていません

自分の子供も生まれながらにして障がいを持っているので、失踪したご両親のお気持ちは痛いほど分かります。

でも、両親から育児放棄された鈴木孝幸選手の心の傷は、間違いなくご両親よりも深いでしょう。

鈴木孝幸選手の実のご両親は、鈴木孝幸選手の活躍をどのような気持ちでご覧になっているのでしょうか?

里親 小松洋さんとの2人3脚の人生

育児放棄された鈴木孝幸選手は、母方の祖母である小松洋さんが引き取りました。

 
 
 
 
 
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小松洋さんは、鈴木孝幸選手を養子ではなく里子として引き取りました

というのも小松洋さんは、「自身がいなくなった後のことも考え、将来自立して生きていくことを目標とするためにわざと違う姓のままで育てる」との信念からです。

育ての親である小松洋さんと鈴木孝幸選手の名字が違うのはこのためです。

鈴木孝幸選手が水泳に出会ったのも小松洋さんの信念からでした。

小松洋さんの「水泳は一番自立心が養えるスポーツ」との考えから、鈴木孝幸選手が幼稚園に入る前から水泳を始めさせたそうです。

日常生活でも、小松洋さんの子育ての信念は徹底されていました。

小学校生活では、「普通の子並みに育ててきた」とお話しされている通り、運動会では、両手に靴を履かせて健常者の子と同じように様々な競技に参加していたそうです。

また、小学校の卒業式の時に転倒して、なかなか起き上がれない鈴木孝幸選手の様子を最後まで手を出さずにホームビデオで撮影されていたそうです。

この最後まで見守るという行為ですが、簡単なようでなかなかできないものです。

自分も、最初のうちは一人で最後までやらせようと思っていても、途中で心配になって手を出してしまいます。

小松洋さんは、鈴木孝幸選手の未来を本気で考えて、何が一番大切なのかを理解し実践していました。

保育園の園長を務めていただけに素晴らしい教育です。

とは言え、四肢欠損の鈴木孝幸選手を育てるのには、努力と覚悟が必要でした。

鈴木孝幸選手を引き取ることを決めた際には、保育園の園長を辞め、送迎のために普通自動車免許も取得します。

 
 
 
 
 
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この写真を見ていただけるだけで、数々の苦労を二人三脚で乗り越えてきたお二人の絆の強さをうかがい知ることができます。

鈴木孝幸選手は、水泳で小松洋さんに恩返しすることを目標にしていたそうです。

それだけに、鈴木孝幸選手の活躍は小松洋さんにとって、この上ない喜びだと思います。

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最後に

今回は、鈴木孝幸選手の生い立ちと育児放棄された壮絶な過去をご紹介しました。

女手一つで、鈴木孝幸選手を育て上げた小松洋さん、そして、小松洋さんに恩返しするべく、多くの困難を乗り越えて数々のメダルを獲得した鈴木孝幸選手。

その道のりが並大抵ではないことが容易に想像できて涙を禁じえません。

東京パラリンピック後は、お二人でゆっくりとした時間を過ごしていただきたいと思います。

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