今回は、東京パラリンピック2020で2個の銀メダルを獲得し注目を集めている、水泳の山田美幸(やまだみゆき)選手に当ててみましょう。
山田美幸選手は現在14歳。
14歳でのメダル獲得は史上最年少です!
生まれつき両腕が無く両足の長さも違う重い障がいをお持ちの山田美幸選手。
山田美幸選手の活躍の原動力はどこにあるのでしょうか?
聞くところによると、亡くなられたお父さんの存在が大きかったようです。
そこで今回は
・亡き父とのエピソード
についてお伝えします。
ごゆっくりどうぞ!
山田美幸の生い立ちを紹介!
それでは早速、山田美幸選手の生い立ちをご紹介します。
\\\ ㊗銀メダル🥈 ///#水泳 女子50m背泳ぎ(S4)【銀メダル】獲得‼️‼️#山田美幸 選手が、今大会2つめとなる銀メダル獲得です‼️
力強いキック、本当に素晴らしい力泳でした👏✨🗞#パラサポWEBhttps://t.co/mFmDF2ZuyN#Tokyo2020 #パラリンピック pic.twitter.com/R2uSPbkiOB
— パラサポ|パラリンピックサポートセンター【公式】 (@parasapo) September 2, 2021
山田美幸選手は、生まれつき両腕がありません。
両足にも障害があり、左右の足の長さが違っています。
そのため、普段の生活には電動車いすを使っています。
山田美幸選手が水泳と出会ったのは5歳の時です。
理由は小児喘息を克服するためとのことですが、お風呂でおぼれないようにとの理由もあったとか。
ただ、山田美幸選手は水泳の素質に恵まれていたようで、すぐに頭角を現します。
山田美幸選手のコーチを務める野田文江さんによると
「水中では障害がないと思うくらい!まさに水の申し子。」
と語るほどの急成長を遂げます。
山田美幸選手自身も、成長するにつれて
「うすうす自分にはできないことがあると思っていた」
と感じ始めたそうですが、水中では
「同じように泳げたので、水泳であんまり他の人と違うなと思ったりはしませんでした。」
と語っています。
本格的にパラリンピックを目指し始めたのは小学校4年生の時。
2016年のリオデジャネイロパラリンピックをテレビで見た時だそうです。
大歓声を浴びながら泳ぐ選手たちを見て、
「自分も世界の選手たちと一緒に泳ぎたい!」
との夢を抱いたそうです。
それからわずか5年で、山田美幸選手は自身の夢を叶えました!
山田美幸選手が才能に恵まれていたことには間違いはないでしょうが、やはり努力なしでこれだけの短期間でメダリストになることはできません。
かなりの努力を積み重ねてきたのだと思います。
亡き父とのエピソード
9日目の競技が終了しました。
本日は山田美幸選手50m背泳ぎ、鈴木孝幸選手50m自由形の2種目で銀メダル🥈を獲得しました。
明日は競泳最終日です。明日も応援よろしくお願いします❗️#Tokyo2020 #パラリンピック #パラ水泳 #TeamJAPAN #超えろみんなで pic.twitter.com/ao0gHRbGEU— トビウオパラジャパン (@tobiuoparajapan) September 2, 2021
現在の山田美幸選手の活躍は、山田美幸選手のお父さんである一偉(かずい)さんの存在があってこそだと思います。
練習の送迎は、主に一偉さんが行っていました。
試合でも応援に駆け付けていたそうですが、どうしても応援に行けない時でも必ず駅まで送り届け声をかけていたそうです。
頭角を現し始めた山田美幸選手は、強化指定選手として声をかけられるようになります。
強化指定選手となると、合宿や遠征が増えてきます。
強化指定選手を受けるかどうかについては、家族内で何度も話し合われたそうです。
重い障がいということもあり、不安や心配が大きかったのだと思います。
それでも、一偉さんは、
「皆さんがここまで言ってくれるなら、この船に乗ってみよう!」
と山田美幸選手の背中を押したそうです。
山田美幸選手を支え続けた一偉さんは、2019年に肺がんで亡くなられました。
一偉さんは、山田美幸選手が幼少の頃
「俺も昔はカッパだったんだよ」
と話していたそうです。
メダル獲得ののインタビューで、山田美幸選手は、
「パパに私もカッパになりましたと伝えたい。」
と声を震わせていました。
必ず一偉さんは、天国で満面の笑みを浮かべて喜んでいると思います。
まとめ
今回は、山田美幸の生い立ちと亡き父、一偉さんとのエピソードをご紹介しました。
若干14歳の山田美幸選手。
今後も活躍を続けていくこと間違いなしです!
天国の一偉さんと一緒に応援し続けたいと思います。
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